2007年11月20日

続々続 写真の芸術性

2007.11.20

続々続 写真の芸術性

 急に寒くなったので首筋がゾクゾクしている此処数日です、裁判も此処まで来ると今まで見守って下さっていた皆様も、成り行きにゾクゾクなさっているのかと遠察いたしております、また首筋がゾクゾクされている方々が別にもいらっしゃるようです。
今日は前回11月17日付のブログでとばしてしまった『露出』について書きます。写真は光の芸術と言われております、どれだけの光を取り込んでフィルムに露光するかが重要になります、同じアングルでシャッターを切っても露出が異なると別の絵面になります。何が適正露出かは作家の作画意図に依るところが大きいのですが、今回の様な使い方(写真集の表紙及び神社のポスター)をする祭の写真では、極端に暗い画面もまた明る過ぎる画面も適当ではありません。神輿の屋根がハレーションを起こしたり、輿丁の半纏の背中の印が無くなるほど白くなったりしてはだめですし、祇園の杜の木々がディテールを無くすほど黒くつぶれてしまっては、最良のアングルも台無しです。今回のような作品では奇をてらった写真よりも、全体のバランスが整った写真の方がより良い写真といわれます。
 ここで芸術性について考えて見ましょう、露出の決定もカメラ任せ、ピント合わせもカメラ任せ、そしてアングルを決めるまでの創作活動を抜きにした出たとこ勝負では、想像性もアートも何もありません。アート(art)を辞書(ランダムハウス英和大辞典)で引きますと芸術・美術のほかに、『技法』・『技巧』・『人為』そして、特殊な技術を必要とする『職業』なども有ります。これによりますと人為的でないものは芸術(art)ではないように受け取れますし、また特殊な技法、特別な技巧を必要としない、誰にでも容易く達成できること、成り行きで出来ちゃったものも、芸術性とは程遠いように受け取れます。

posted by kazz at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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