2024年09月03日

祇園祭 ’24–終 水の問題

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2024.09.03

祇園祭 ’24–終
水の問題

 9月に入りました、先月末に二度徘徊に出ています、この体調ならば週に2回ほどの徘徊が出来そうです。 この状況ならば8/23の‘24–15を最後に祇園祭の記載を終了させても良かったのですが、気になる事が有ったので、それを書いて24年の祇園祭りを終わりにします。


 7月25日のBlogで神輿洗いに疑問があると書きました、祇園祭の元々は神泉苑から始まった、疫病退散の祓い、御霊会だと云う事は、数々の書籍にも書いてありますし、八坂神社の神官も街の古老も仰っています。
 神泉苑から始まった「水の祭礼」であるならば、祭りの始めに水の中から歳神を招いて、祭りの終われに水にお戻り頂く、ここまでは理解できるのですが。 何故これが鴨川の水なのか、この辺がモヤモヤしています。

 賀茂の大社(上賀茂神社、下鴨神社)の祭礼であれば、賀茂川(鴨川)の水を御神水と見る事は当然だと思います、でもこれが祇園社の御神水と成ると納得が行きません。
 古来、祇園社の神苑の一部であった東山、八坂神社の裏山から流れ出す流水が集まって、宮川になっています、宮川町の町名の由来かと思います。 この宮川の水が御神水ならば理解できます、また神泉苑の水が御神水だと云うのも納得ができます。 元々はこのどちらかだったのでは無いかと、私的には考えております。

 私が言いたいのは、どっちが正しい、間違っているでは無く、いつに時代にどのような理由で今の形に定着したのか、この辺を知りたいのです。
 ご存知の方いらっしゃいましたならば、ご教授賜りたくお願い申し上げます。


 今日は御神水に関する写真を二枚ご覧いただきます。

 一枚目の写真は7/10に撮影しました、神輿洗いに使用する神事用水を清祓いしているシーンです。 この場所は川端四条下がるで、南座の西側になります、この場所から200mほど下ると団栗橋です、この橋の下に宮川が鴨川に流れ込む放流口が有ります。

 二枚目の写真は7/14に神泉苑で撮りました、御神水交換式の1コマです。 八坂神社と神泉苑が相互に持ち寄った御神水を交換して、八坂神社が神泉苑の御柛水を持ち帰るところです。
posted by kazz at 14:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする