2022年07月31日
祇園祭 ’22–末 疫神の祓
2022.07.31
祇園祭 ’22–末
疫神の祓
7月31日、1ヶ月にも及ぶ祇園祭も今日でお仕舞いです。 今日は疫神社の夏越祓がありました、此の夏越祓を行う為の1ヶ月にも及ぶ馬鹿騒ぎが祇園祭なのです。 キリスト教で言うところのセレモニー(神事)、此の神事を催行する前の1週間に及ぶ断食、そして断食に入る前のバカ騒ぎがカーニバルだと何かで読んだ記憶があります。 神事と付け祭そして浮立(風流)、日本も西洋も祭の形態は似たり寄ったりだと感じます。
29日は身体が思うようにならず、一日ホテルでグウタラしていたと前回のブログで書きました。 昨日は身体も好くなったので徘徊に出ました、地下鉄南北線を丸太町駅で下車して、京都御苑の中をチンタラ歩いて、閑院宮邸跡と御所を拝観しながら今出川に出ます。 その後、相国寺の境内を南から北に抜けて、上御霊神社まで行き、鞍馬口駅から地下鉄に乗りました。
一枚目の写真は夏越祓の会場、疫神社へ向かうご奉仕の神官の列です。
二枚目の写真は夏越祓の会場で、来賓の氏子のお世話をしていた巫女です。
三枚目の写真は昨日の徘徊の折、御所の御池庭で撮影した芒です。 チョット季節が早いのかなと感じたのですが。
2022年07月29日
祇園祭 ’22–12 お迎え提灯
2022.07.29
祇園祭 ’22–12
お迎え提灯
今日は29日、朝は起きられたのですが25日と同じように、出掛ける気力が湧いて来ません。 祇園祭の行事が無いので植物園にでも行こうかと思っていたのですが、身体が付いて行きません。
昨日は後の神輿洗でした、10日の前の神輿洗は神輿を庫から出して、一年の埃を払って、宮川の水で清めて舞殿に飾るセレモニーです。 そして後の神輿洗は、神輿を庫に仕舞うための神事です。 同じ神輿洗ですが、後のそれに比べると前の神輿洗は華やかなように感じます、1年間待ちに待った祇園の神輿が氏子地域に来る、そんな気運が前の神輿洗には有るからかも知れません。 お迎え提灯が行われるのも、その辺りから始まった事なのかも知れません。
添付写真の一枚目は祇園守です、昨日神輿洗が始まる前に本殿の裏で撮影しました、八坂神社の境内で祇園守を撮影するのは今年初めてです。 前祭の蟷螂山の舁き初めの時に、山の町家の前に咲いているのを山と併せて撮っていますが、とにかく今年は開花が遅れているなと感じています。
二枚目の写真はお迎え提灯です、何故か昨日28日の後の神輿洗の終了後に行われました。 従来は10日の前の神輿洗に付随して行われて来たのですが、今年に限って後の神輿洗の時に行われました。
後の神輿洗のお迎え提灯、異例中の異例ですがそれだけ氏子達の想いが籠っている、そう捉えるべきでしょう。 コロナの脅威が無い、何の制約も無い、二重人格の森寿雄前宮司の影響も無い、今まで通りの祇園祭を来年は迎えたい、こんな想いを感じたのは私だけでしょうか。
「二重人格の森寿雄前宮司」は、私が言い出した事ではありません、氏子達の間で囁かれている事です。
2022年07月27日
徘徊歳時記 ’22-38 京乃歳時記
2022.07.27
徘徊歳時記 ’22-38
京乃歳時記
徘徊歳時記のタイトルで此のBlogを書くのは7/9以来の事かと記憶しています、昨日と今日は祇園祭に関する行事が無かったので市内をブラついていました。 今年はコロナ祇園祭ですので、例年ならば行われる行事も中止になったりしていますが、これも仕方のない事なのかも知れません。
昨日の徘徊は市バスを東山の知恩院前で下車して、祇園白川の行者橋を渡って、古川町商店街を抜けて、神宮道から仁王門通を通って、鴨川に出ます、何ともまとまりの無いコースです。 今日は東福寺に行って来ました、天得院の桔梗は終わってしまったのか、門は閉ざされ特別拝観は有りません。
添付写真の一枚目は子供の水遊びの1コマです、鴨川の丸太町と二条の中間くらいで撮影したものです。 鴨川での水遊びは結構見かけます、小さな子を連れたファミリーもあれば、おじさんが泳いでいるシーンも見かけます。
二枚目の写真は、チョット早いようですが萩の花です、天得院の脇あたりの個人のお宅の前に咲いていました。 立秋は8月7日ですので、早いのかなと思っています。
2022年07月25日
祇園祭 ’22–11 コロナ還幸祭
2022.07.25
祇園祭 ’22–11
コロナ還幸祭
今日は25日、後祭の山鉾解体の日なのですが、ホテルで洗濯をしながら此のBlogを書いています。 朝は目覚ましが鳴る10分ほど前に目が覚めたのですが、ここ数日頑張り過ぎたのでしょうか、身体が思うように成りません、よって午前中は休養を摂る事にしました。
一昨日が宵山、昨日が後祭の山鉾曳廻とコロナ還幸祭でした、この辺りで頑張り過ぎたのでしょうか、前祭の疲れも残っていたはずです。 私の年齢ですが、祇園祭が終わって東京に戻った時には70歳に成っています、50代まではそれなりに動けていたのですが、最近は思うように成らなくなりました。
添付写真の一枚目は、23日に撮影した屏風祭の1コマです。 飾られている各家のお宝だけを撮るのも一つの考え方ですが、幕や見物客を併せて撮影するのも、また一つの表現方法ではないでしょうか。
二枚目の写真は昨日の山鉾曳廻の一コマです、鷹山の四条新町での辻廻ですが、これが5回目の辻廻で其れなりの出来栄えでした。 しかし朝一番の、町内を出発する時の辻廻はチョット梃子摺っていたように見えました、そもそも今日がお披露目ですから。
三枚目の写真は昨日の夕方に撮影したコロナ還幸祭の1コマです。 四条大橋の上に三社の神輿が揃った時のものです、高張提灯と空の彩(イロ)のバランスが面白いと思いませんか。
22日の夜に645Dで駒形提灯の撮影に臨みました、やはりシャッタの摩擦音が出ていました、リコーイメージングの欠陥カメラにも困ったものです。
2022年07月21日
祇園祭 ’22–10 曳初・舁初
2022.07.21
祇園祭 ’22–10
曳初・舁初
昨日20日は後祭の曳初、そして今日の午前中は橋弁慶山の舁初が有りました。
昨日の曳初は鷹山が大混雑だったそうです、私は見ていないのであくまで人聞きの話です、見てはおりませんが混雑する事は読めて居たので、私は大船鉾に居ました。 今日の橋弁慶山の舁初の人出は例年位だったと思います。
一枚目の写真は昨日行われた、大船鉾の曳初の1コマです。 囃子方の鉦の緒ですと音頭取りの背中です、緒がもう少し跳ねているともっと面白い絵になったかも知れません。
二枚目の写真は今日行われた、橋弁慶山の舁初の1コマです。 五条大橋、現在の松原橋の欄干の擬宝珠の上に立っているシーンです、下から見上げてみました。
2022年07月20日
祇園祭 ’22–09 雨の鉾建
2022.07.20
祇園祭 ’22–09
雨の鉾建
昨日は一日中雨でした、朝一番10時前に大船鉾に行ったのですが、観光客も報道も居りません、去年まではあんなに人集りだったのに、鷹山できたからでしょうか、それとも雨の平日だからでしょうか。 知り合いのカメラマンが今年は大船を撮るとの事で早朝より来ていました。
新町を北に上がって、南観音山、北観音山を通って鷹山まで行きます。 昨日はあんなにごった返していた鷹山ですが、今日は報道も観光客もゼロです、どうも雨の平日が原因のようです。 観光客については解りますが、報道については理解できません、雨の日は取材に出ないのでしょうか、そんな気まぐれ有りなのでしょうか。 あの嫌な女記者が来ていなかった事だけは幸いです、そのままずっと顔を出さないでくれると有り難いのですが。
今日は朝から好い天気です、陽も射しています、午後から行われる後祭の曳初が楽しみです。
添付写真の一枚目は昨日行われた松取の1コマです。 北観音と南観音は同じ造園業者が真松を持って来ます、くじを引いて勝った方が好みの松を選ぶ、此のような行事ですが何時から始まったのでしょうか。
二枚目は17日の山鉾曳廻の一コマです、くじ改めの前で放下鉾が稚児人形を舞わせているところです。 放下鉾の稚児人形は、よその鉾と異なり文楽人形になっています、舞は長刀稚児と同じく太平の舞だそうです。
放下鉾の稚児人形の太平の舞は、PENTAXの645Dで撮影しました、シャッタの擦れる音は気に成らなかったのですが、摩擦音が出ていなかったのか、それとも周りの騒音に掻き消されていたのかは不明です。
2022年07月18日
祇園祭 ’22–08 嫌な女記者
2022.07.18
祇園祭 ’22–08
嫌な女記者
今日は18日、祇園祭も前半戦が終わって一休みと言ったところでしょうか。 一昨日の宵山、昨日の山鉾曳廻並びに神幸祭、久々の本格的な祇園祭にチョット疲れが出て、此のブログを書く気力が出ない状況でした。
今朝は岩戸山の松切りから始めました、松切りに関してはコロナ以前に、北観音山、南観音山を含めて、何とかお見せ出来る写真が撮れています、各山の違いもお示し出来る状態です。 そのような状況での岩戸山の再トライです、連写機能を使っての松が倒れて行く、その流れにチャレンジして見ました。
そのあと鷹山のお披露目の山建の場所で嫌な女にあってしまいました、何かと私の行動に文句を垂れる嫌な女です。 どこぞの新聞社の記者らしいのですが、自分を特権階級の人間だと誤解している様子です、何とも困った女です。 此の場所は許可の出ている人間だけが入って撮影できる場所だとノタマワルのです、それは山鉾町の関係書のいう事で、一介の新聞記者風情の言う事では無いかと思います。 一介の記者風情が余計な事を言い過ぎると、山鉾町にそのトバッチリが行くような気がします、ご自分のお立場をお考えに成るべきでは!
添付写真の一枚目は16日に撮影した駒形提灯です。 8時過ぎぐらいでしょうか、お若いカメラマンが撮影していたので、横に行って前を見ると、面白い絵に成りそうます。 来年挑戦する積もりで記憶のためにシャッタを切りました、先に居たカメラマンの方には、面白いアングルなので来年撮影するからと、名乗って置きました。 少し大きめに撮っています、よってトリミングなどもしていません。 右手前が長刀鉾で、真ん中が函谷鉾、左の奥が月鉾です。
二枚目の写真は17日の山鉾曳廻での撮影です、注連縄切りの前、斎竹に注連縄を張って長刀鉾の到着を待っている状況です。 裃を着て後ろを向いている方たちは高橋町の皆様です、斎竹建を担当している町内です。 真ん中辺りに居るメデア関係者でしょうか、何とも邪魔な御仁です、前出の嫌な女記者と同様に自分達の立場を考えたら如何ですか、TVにしても新聞にしてもエンドユーザは誰なのか。
そう言う事で今日の写真は有りません。
2022年07月15日
祇園祭 ’22–07 灯火もらい
2022.07.15
祇園祭 ’22–07
灯火もらい
今日は15日です、昨日から前祭の宵山が始まっています。 10日の鉾建から13日の曳初までは昼間の行事です、夜の撮影は無いと思うのですがここで撮影のポジションを見付ける事が出来れば、それはもう祇園祭の上級者だろうと思います、少なくとも観光客の段階は卒業されたのでしょう。 14日、15日、16日は宵山ですので夜が中心に成ります、行事も夜が中心ですし駒形提灯に灯が入るのも夜です、でもここで昼間の撮影ができれば!
一枚目の写真は14日に撮影した灯火もらいの一コマです、八坂神社の本殿内で提灯に貰った灯火を鉾に持って帰ります。 灯火を携えて鉾に戻ったお稚児さんたちが、長刀鉾を背景に記念撮影をしているところです。
二枚目の写真は今日の午前中に放火鉾の町家で撮影しました、町家の入り口の脇に受付があります、その後ろに飾られていました。 何かと云えば鉾の天井です、屋根の内側を隠しています、中心部分の穴に真柱が通ります。 放火鉾にはお世話になっている知合いもいるのですが、此の写真はコネを利用しておりません。
2022年07月13日
祇園祭 ’22–06 稚児社参
2022.07.13
祇園祭 ’22–06
稚児社参
今日13日は午前中に長刀鉾の稚児社参がありました、そして昨日の午後と今日の午後は前祭の曳初でした。 昨日の曳初は四条通の5基、そして今日は新町通の3基が試し曳きされました、試し曳き・試運転を曳初と表現するところが京都的なのでしょうか。
曳初が済めばその日の夕刻には駒形提灯に灯が入ります、明日からは宵山ですので人出も多くなると思われます、曳初も多くの人出でしたのでコロナ感染が心配です。
添付写真の一枚目は稚児社参の一コマです、長刀鉾の前から八坂神社に向けて馬に乗って出発するところです。 帽子のカメラマンが邪魔かなと思いながらシャッタを切りました。 大きなカメラやら三脚やら大きなバッグを持った、報道の人たちは確かに邪魔になります、でも此の帽子のお父さんは絵の中に溶け込んでいます、知り合いだからではなく純粋に感想です。
二枚目の写真は今日の曳初の一コマです、鉦方のバチに着けられている緒ですが、鉦を叩くと上下に揺れるのです、曲のテンポが速くなるとより大きく揺れます。
2022年07月10日
祇園祭 ’22–05 神輿洗
2022.07.10
祇園祭 ’22–05
神輿洗
祇園祭も本番を迎えました、今日10日は神輿洗と前祭の鉾建です。 例年ですと超忙しく鉾町・四条大橋・鉾町・昼食・鉾町・八坂神社・四条大橋・八坂神社、こんな感じで飛び回っていたのですが。
今年はちょっと違います、朝一番は四条大橋で神事用水の汲み上げを撮影して、そののち長刀鉾の鉾払いを撮って、ちょっと早いがここで午前の部は終了してホテルに戻って休憩です、昼食を食べる気力が有りません。 午後の部は14時に宿を出て八坂神社に向かいます、一寸時間が有ったので円山公園で槿の花を撮影して、15時過ぎからは神輿洗の準備を撮影します、疲れが出たので17時で撮影を終了して、神輿洗の本番は撮影せずにホテルに戻ります。
添付写真の一枚目は神事用水の水汲みです、四条大橋の下流側の欄干越しに、写真の釣瓶で宮川の水を汲み上げます、宮川で汲み上げた神事用水で清めるから、神輿洗いの意味があるのだと思います。 鴨川の四条より下流を宮川と呼ぶ人がいます、でも宮川町は団栗橋の下流です、川端通の東側を小さな川が流れています正に宮川です。 円山公園いや旧祇園社の御神苑の池の水は、何処に流れて行くのでしょうか、これこそ宮川のように思うのですが。 この辺の事にお詳しい方いらっしゃいませんか、ご教授を賜りたいのですが。
二枚目の写真は神輿洗の準備をしている時の1コマです。 神輿の屋根に飾る鳳凰の後ろ羽根の部分です、こんな写真が撮影できるのも此のチャンスぐらいかと思います。
2022年07月09日
徘徊歳時記 ’22-37 東福寺
2022.07.09
徘徊歳時記 ’22-37
東福寺
昨日の夕方、京都に入りました、宿はここ20年近く四条大宮のビジネスホテルです、予約は昨年の帰る時に取っておきました。 京都に入ったのにタイトルの徘徊歳時記はオカシク無いか、こんなご指摘も頂きそうですが本日9日は行事が何も無い、祇園祭の特異日です。 そんな事もあって午前中は東福寺へ、午後は祭り関係者とお眼に掛かる事3件と忙しく過ごしました。
1件は鉾の関係者、1件は神輿の関係者、そしてもう1件は故人に成ってしまった神輿の関係者です、6月にお亡くなりになられたので、お線香をあげてきました。 お世話になっている方がドンドン少なくなって来ます、そうそう亡くなったと言えばいい話もあります、八坂神社の宮司がお若い方に代替わりされたそうです、あの嫌な森寿雄はイナクナッタそうです。
東福寺で撮影した花をご覧頂きます。
まずは蓮です、山門の南側の池で取りました。 満開を過ぎたのかと思いながら撮影していたのですが、あとで人に伺うとあれでは未だ少し早いと仰っていました。
二枚目は槿です、天得院の西側の個人のお住まいのようなお宅の、壁の外に咲いていました、7日にご覧頂いたムクゲとはちょっと違うように感じるのですが、如何でしょうか。
2022年07月07日
祇園祭 ’22–04 綾傘鉾稚児社参
2020.07.07
祇園祭 ’22–04
綾傘鉾稚児社参
七月七日は七夕です、世間ではそれが正解なのでしょうが、祇園祭の関係者の中では少し変わって来るかと思います。 そうです今日は綾傘鉾町の稚児社参の日です、八坂神社の本殿の周りを三回巡る、お千度が行われたはずです。 ハズですと書きましたのは、コロナが急拡大を始めたので如何したか不明な事も有りますが、そうです未だ東京に居るので現場を見ていないからです。
参議院選の期日前投票やら、コロナワクチンの4回目接種やら何やらと、何かとゴタゴタとしています、当然の事ながら徘徊にも出られていません。 宅配便の荷物に関しては、昨日のうちに何とか送る事が出来ました、あとは持って行く荷物だけです、こちらも何とか目処が着きました。 リコーイメージングの欠陥カメラ、PENTAX645Dは防水、耐衝撃の専用バッグで送りました、あの欠陥カメラにそこまでする必要が有るのか疑問です。
2012年に撮影した綾傘鉾町の稚児社参の写真を添付します。 長刀鉾の稚児と比べると、綾傘鉾の稚児は大分可愛い様に感じるのですがいかがでしょうか。
二枚目の写真は槿です、これは徘徊での撮影では有りません、彼方此方と飛び歩いている最中の1shotです。 ムクゲの花が咲くと祇園祭の月で有る事を強く感じます。
2022年07月05日
祇園祭 ’22–03 稚児舞披露
2022.07.05
祇園祭 ’22–03
稚児舞披露
今日7月15日は稚児舞披露です、1日の長刀鉾町のお千度が終わるとクジ取式だったり、前祭の町内の吉符入りだったりと、様々な行事が続きます。 しかしクジ取式にしても吉符入りにしても、撮影許可を取るのは大変かもしれません、私がこれらの撮影に力を注ぎ込んでいた20年前は、それほど面倒なことも無かったのですが。 フィルムのカメラからデジカメに変わって、スマホでも撮影できる様に成ると、何かとウルサイ事を仰る方が出て来ます。 20年前に起きた私と八坂神社との揉め事も、其の要因に一つかも知れません。
以前に撮影した稚児舞披露の写真を添付いたしますので、御高批願います。 報道の方々は町家の窓の直ぐ下から撮影している様子ですが、私的には四条通りの反対側(南側)の歩道から撮影する方が、全体の雰囲気まで摂り込めるのではないかと感じています。
未だ東京に居ります、荷造りに苦慮しています。 PENTAX645Dも送らなければ成りません。
徘徊している時間が取れません、よって花の写真はお休みです。
2022年07月01日
祇園祭 ’22–02 長刀鉾町お千度
2022.07.01
祇園祭 ’22–02
長刀鉾町お千度
七月に入りました、昨日の天気予報では東北地区が梅雨明けしたとか、関東地区に梅雨明け宣言が出されてから何日経ったのでしょうか。 今年は北海道まで梅雨が在ったとか、豪雨で川が氾濫して被害が出ているとか、この異常気象はどこまで続くのでしょうか。
京都地区はどうなのでしょうか、祇園祭の前の梅雨明けは意外中の意外です。
今日は一日、長刀鉾町のお千度の日です、祇園祭のスターティングセレモニーとでも云ったところでしょうか、今日からは毎日の様に様々な行事が行われます。 そして10日には鉾建が始まり、神輿洗が行われます、ここまで来れば祇園祭も本番中の本番、祭りの真っ只中です。
添付写真の一枚目はタイトルにも掲げました、長刀鉾町のお千度の一コマで、2016年に撮影した写真です。 お千度と云うと舞殿と南楼門をバックに撮影したものが多いのですが、この様なシーンにも出会います。
長刀鉾のお稚児さんに関しては、25年ほど前に特別許可を戴き、密着取材をしたことがあります、もちろんフィルムカメラの時代です。 知合いの息子さんがタマタマお稚児さんに成ったので、ゴリ押しをして撮影したと言うのが実際のところです。
二枚目の写真は6/27に善福寺公園で撮影した紫陽花です、数日前から陽射しの強い日が続いていたので枯れてしまっています。 19日付けのブログ「徘徊歳時記 ’22-34 梅雨の中休み」で、ご覧いただいた紫陽花と同じ木に咲いていたものです、もしかすると同じ花弁かも知れません。
京都へは、10日の神輿洗には間に合わせる様に出かけます。 リコーイメージングのカメラ、PENTAX645Dはトラブル続きですが、今のところ持参する予定です。